もう一度、国道側から小島川を望みます。
ここだけ切り取ると、大自然の渓流みたいに見えませんか?
実は、この辺りは伊吹さんからお聞きした百花園があったところなんです。
百花園とは、明治大正時代に栄えた、粋な茶屋の名前です。
フランスの文豪ピエール・ロチによって紹介された場所であり、
小説「お菊さん」の中で、彼が見初めた日本人娘「お菊」との出会いが綴られています。
お諏訪の長崎公園に、ピエール・ロチの記念碑がありますよね。
百花園とは、明治大正時代に栄えた、粋な茶屋の名前です。
フランスの文豪ピエール・ロチによって紹介された場所であり、
小説「お菊さん」の中で、彼が見初めた日本人娘「お菊」との出会いが綴られています。
お諏訪の長崎公園に、ピエール・ロチの記念碑がありますよね。
その場所がこの辺りからエレナのところまでだそうです。
付近の見取り図です。
小島の歩道橋横を通って、下って行くと入り口跡があります。両脇の石積みが当時のものだそうです。
当時はここまで人力車を使って往来したそうです。
やっと、小島小学校手前にかかる「小島橋」まで来ました。
ここをさらに川沿いにくだると
桃源橋があります。
名前の由来は、愛宕からこの辺りにかけて、桃・梅・桜などが繁茂していて、
唐の文人が、中国の故事にある桃源郷のようだったため、小桃源と名づけたとのことです。
桃源橋があります。
名前の由来は、愛宕からこの辺りにかけて、桃・梅・桜などが繁茂していて、
唐の文人が、中国の故事にある桃源郷のようだったため、小桃源と名づけたとのことです。
小島小学校校歌にも、その名が出てきます。
♪「小桃源の昔より、花咲きにおう、この里の・・・」
♪「小桃源の昔より、花咲きにおう、この里の・・・」
忘れられない歌詞です。
母校、小島小学校です。なつかしい~w 右の石碑は校歌の作詞をされた田中先生(長崎俳壇の重鎮)の碑です。
左は校門よこの駄菓子屋兼模型屋さんでした。
近くにある地蔵です。
ここに6年間通っていながら、
この周辺の歴史を30数年経った今、やっと知ることができました。
次回へつづく・・・。
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