いよいよピントコ坂を本格的に上って行きます。
旧鶴鳴女子高校を右に見て、しばらく上っていくと・・・
旧鶴鳴女子高校を右に見て、しばらく上っていくと・・・
爺(じじ)石です。写真右にある大きな石がそうです。
この上のほうに、譲(ばば)石もあったそうですが、砕かれてしまってその面影はないとか。
ここは、小さい頃、写真の左手に、子供が隠れるくらいの祠をもつ、大きなクスの木があって、夏休みにはいつも「じゃごろ(クマゼミ)」をとって遊んでいました。
残念なことに、いつの頃か雷にうたれて折れてしまい、跡形も無く撤去されてしまいました。
残念なことに、いつの頃か雷にうたれて折れてしまい、跡形も無く撤去されてしまいました。
この道も、すっかりきれいに舗装されてしまいました。昔は石段のゴツゴツした道だったんですけどね。
しばらく上ると、昔そのままの草薮がまだ残ってました。
奥に塔が見えますね。これが茂木道無縁塔、通称「ライオンの塔」です。
正徳2年(1712)天然痘が流行し3千余人の患者が出ました。
その時の死者(主に子供)を供養し、併せて長崎の平安を祈念して、この茂木街道に建てられのです。
その時の死者(主に子供)を供養し、併せて長崎の平安を祈念して、この茂木街道に建てられのです。
今では、「さるく」のコースにも入っていませんが、
この街道が、それなりの要衝であったことが窺える史跡だと思います。
この街道が、それなりの要衝であったことが窺える史跡だと思います。
次回へつづく・・・。
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