#長崎県

茂木街道をゆく—「合戦場」

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やっとのことでピントコ坂を上りきると、目の前に南高正門があります。

 

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正門横に不動明王の祠がありました。       これは有名な「じごく坂」です。

 

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正門横の車道を進むと、広い交差点にでます。これを左に行くと田上の停留所ですが今回は右に行きます。

 

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今来た道を振り返ると・・・。               反対側は・・・そう、大浦方面へ下る道です。

 

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そして、この道を抜け、きつい坂道を上ると・・・

 

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「祝捷山運動公園」、別名合戦場です。
しかし、なんともきれいになったものです。

 

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私たちは、ここのことをずっと「合戦場」と呼んでいたにもかかわらず、
その名の由来は全く知りませんでした。
岩永氏によれば、昔、この丘陵地帯で長崎氏と深堀氏の合戦があった(室町時代?)ことから
この名がついたと言われています。

 

そう言えば、昔、父親からここの藪には、人骨が出てくるから入ったらいかん。と言われていましたが
確かに、当時の戦死者と思われる墓が散在していたのを覚えています。

 

この日の野球少年たちは、そんなこと知っているのかしらんw

 

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左が武威揚海外の碑(明治38年)、右が「日露戦捷記念碑」です。

 

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これらは浜町の田中直三郎が毎朝ここに登って、日露戦争の戦勝祈願をした所であり、
日本の勝利が決まった折、この地を開き、遊園地とし、
長崎の儒医学者 西道仙が祝捷山と命名したそうです。

 

しかし、浜町から毎朝、ここまで登るとは・・・絶句です。

 

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公園横の道からは、長崎港がチラリ。

 

更に、あたご自動車学校の方に歩いていくと

 

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ありました。この木の下の大きな石が「唐船石」です。

 

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ここは、1560年代、足利将軍から派遣され、小島の地名の元となった小島備前守が、その悪政により
長崎氏によって暗殺され密かに埋葬された地であります。

 

石の形状が唐船に似ていることから、その名がついたと言われています。

 

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鳥居等は随分きれいで、まだ出来て新しいです。
近くのあたご自動車学校の寄進のようです。

 

今思うと高校時代、部活の帰りにこの石の上に乗って寝てたことが恐ろしくなってきましたw

 

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この風景を見ていると、やっと峠を越えたかなと実感します。

 

それにしても、何気なく遊んでいた場所がこんなにも血生臭いところだったとは
思ってもみませんでした。
次回へつづく・・・。

 

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