近代産業遺構というよりは、戦争遺構といった方が良いと思います。
以前行った、「川南造船所跡」とは遠からぬ縁があること、
それから、この近くに「特攻 殉国の碑」もあり、一度記帳しておきたかったこともあって、
今回訪ねてみました。
それから、この近くに「特攻 殉国の碑」もあり、一度記帳しておきたかったこともあって、
今回訪ねてみました。
JR川棚駅から、小さい小島を目指して車を走らせていると、
今でも、のどかな海岸の風景が現われます。
今でも、のどかな海岸の風景が現われます。
その一角に車を停めて歩き出すと、いきなり現われたのが、
地下壕への入り口。

地下壕への入り口。
ほとんど埋められてしまって、中に入ることもできません。
ここから、なんとなく勘を頼りに林の方へ歩いていくと、

貯水池のような構築物。
これも、軍の施設だったのでしょう。

貯水池のような構築物。
これも、軍の施設だったのでしょう。
そして、藪をぬけると、

魚雷収蔵施設跡が見えてきました。

魚雷収蔵施設跡が見えてきました。
明治19年、長崎の県北の一寒村であった佐世保浦が軍港に指定され、
その4年後には本格的に港湾施設が整備されました。まもなく佐世保海軍工廠が開設され、この後に始まった日清戦争の主力艦隊はこの佐世保海軍基地から発進したとのことです。
その4年後には本格的に港湾施設が整備されました。まもなく佐世保海軍工廠が開設され、この後に始まった日清戦争の主力艦隊はこの佐世保海軍基地から発進したとのことです。

ここは、その魚雷を収蔵していた施設。

中は、天井が抜け、本当の廃墟に。

窓も木枠を残して、すべてなくなっています。

床には、不釣合いな程きれいな白いタイル。

木枠の傾きが痛々しい。

眩しいほどの西日が・・・

貯水施設らしきものもありますが、
町民はもとより軍人にさえもその存在はひた隠しにされていたことから
詳しい資料はほとんど残っていないといいます。

次回につづく。
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