#長崎県

祖父の足跡を訪ねて—「端島へ」その3

ちょっと間が空いてしまいましたが、いよいよ30号棟に迫ります。
「その1」、で述べたように、このアパートは大正5年に建設され、日本で最も古い鉄筋コンクリート造の高層集合住宅として、
建築的にも非常に価値の高い建造物として知られています。

イメージ 1 
さあ、見えてきました。

私も、その姿を初めて見る一人として、
また、祖父が手がけた建物を見る感慨で胸がいっぱいです。

イメージ 2
幸いなことに、見学通路の一番奥、真正面に鎮座しています。

イメージ 3
ガイドの方が、いろいろと説明してくれてる声が、遠くに霞んでしまうほど見入ってしまいました。
イメージ 4
この建物は、路地と一体化した棟割長屋をともえ型に並べて重ねたような(いわゆるロの字型に近い)
形をしています。
上から見ると、長さ6メートル角の光庭がわかるそうです。

イメージ 5
最初は4階建てで、あとから7階までを増築した建物ということを、見学後に知りましたが、
この写真は、その様子がはっきりとわかります。
イメージ 6
当時の技術で、垂直方向への増築を、どうやって施工したのか、また既存建屋の補強はどうやったのか。
調べてみると、炭鉱ならではの発想(坑道で岩盤を支えるパイプをサポート代わりに使用)で
あったことがわかりました。
イメージ 7
コンクリートの爆裂により鉄筋がむき出しになっています。
構造的には非常に危険な状態ですが、この主筋も「端島」独自のものであることがわかっています。

現在のような鉄筋ではなく、炭鉱の巻揚げ機用麻芯入りワイヤロープが使ってあるとのこと。

こういった、炭鉱ならではの工夫が、往時の苦労を忍ばせます。そして同時に、
祖父も、日本初の技術開発に参画して、
若き胸を躍らせながら取り組んだのかと思うと、羨ましくもあります。

建築学的には、東京の同潤会アパートが有名ですが、
この、「端島」の30号棟はそれより更に10年先んじています。

今、こうして沢山の観光客に見守られている建物を見ていると
手前味噌ながら、祖父の成した業が誇らしく思えます。
イメージ 8
名残惜しくも、いよいよ帰路につく時間。
イメージ 9
島の隅々まで見て周りたい衝動を抑えながら、一番最後に乗船しました。
イメージ 10
最後は、島をぐるっと一周。

心なしか、空もちょっと翳ってきたようです。
イメージ 11
沢山の、主無き建物。
イメージ 12
最後にもう一度間近で見る「軍艦島」の威容。
イメージ 13
また、いつの日か。

イメージ 14
その日まで、「さようなら」。
イメージ 15
最後に、センチな気分を盛り上げてくれるのか、

イルカのジャンプで締めくくってくれました。

「ありがとう!」
.

関連記事

  1. #長崎県

    素敵な長崎弁—「つ」

    「 つ 」  (かさぶた)昔、父親に「なんで、かさぶたの…

  2. #佐賀県

    川南造船所(2)—「内部」

    前回紹介した外部から、胸を高鳴らせて、その内部へと入っていくと、…

  3. #長崎県

    素敵な長崎弁—「しまこぶ」

    しまこぶ(コガネグモ)今では、鹿児島のそれが有名だが、昔は…

  4. #長崎県

    素敵な長崎弁—「ちんじゅ」

    ちんじゅ      「天然パーマ」 のこと。 長…

  5. #長崎県

    九十九島 三景

    昨日から今朝にかけて、素晴らしい時間をいただいた皆さん!本当にあり…

  6. #長崎県

    茂木街道をゆく—「ピントコ坂入り口」

    小島地蔵群から少し上ったところに小さな欄干があります。確かに…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP