当時は、地元の長崎歴史研究家 岩永弘さんの資料に基づいての散策でしたが、
今回は、
私takeppeの、本当に私的な思い出を辿りながら、
その昔、
「桜街道」と呼ばれた、
生活道路としての旧街道を歩いていきたいと思います。
今回は、
私takeppeの、本当に私的な思い出を辿りながら、
その昔、
「桜街道」と呼ばれた、
生活道路としての旧街道を歩いていきたいと思います。
まずは、正覚寺下の旧茂木街道登り口からとりつきます。
今ではもう、アスファルトによる継ぎはぎだらけの石畳も、以前はオランダ坂に劣らない
きれいな石組の模様を誇ってたんですよね。
それもそのはず、この先の正覚寺手前を右に折れると、
すっかり有名になってしまった「本当のオランダ坂」があるんですから。
きれいな石組の模様を誇ってたんですよね。
それもそのはず、この先の正覚寺手前を右に折れると、
すっかり有名になってしまった「本当のオランダ坂」があるんですから。
子供のころ、よく遊んだ「正覚寺」です。
早速、見えてきたのがここ「松本酒店」。
正覚寺の目の前にある酒屋さんです。
正覚寺の目の前にある酒屋さんです。
ここは、旧街道筋でも、かなり古い酒屋さん。
なんでも、うちの父親がまだ十代だったころ(昭和20年代ですね(^_^; )には
既に立ち飲みの角打ちサービスをやってたとか・・・
なんでも、うちの父親がまだ十代だったころ(昭和20年代ですね(^_^; )には
既に立ち飲みの角打ちサービスをやってたとか・・・
以前は、薪俵や練炭が店の軒先に積み上げられてました。
まだまだ、現役でこれからも頑張って欲しいですね。
「松本酒屋」から10メートルも登らないうちに佇む一軒のマンション?アパート?
ここは、以前はラブホでした^^
外壁の茶色いタイル模様は、以前のラブホ時代のもの。
私が学生時代に改装されたので、現在の住人は、そのことを知らないかも・・・w
外壁の茶色いタイル模様は、以前のラブホ時代のもの。
私が学生時代に改装されたので、現在の住人は、そのことを知らないかも・・・w
今でいう、コンバージョン建築のハシリですね^^
ここから、「高島秋帆旧邸」や「八釼神社」を通り越して歩いていくと、
見えてくるのが、昔ながらの郵便ポスト!
そのポストの真向かいにあるこの家が、昔、切手や官制はがきを売ってたタバコ屋さん。
当時、おばあちゃんが、その店先で店守をしてましたが、
そのおばあちゃんが亡くなると同時期に店を閉められました。
当時、おばあちゃんが、その店先で店守をしてましたが、
そのおばあちゃんが亡くなると同時期に店を閉められました。
私の実家近くには、ここしかポストがなく、また切手もここしか売ってなかったので、
重宝したお店です。
重宝したお店です。
今では、お店の面影も残っていませんね。
ここの経営者であったおじいさんは、雰囲気がすごく怖くて、とっつきにくかったのですが
話してみると、愛想よく気さくな方だったのを覚えています。
話してみると、愛想よく気さくな方だったのを覚えています。
この店は、南高校、小島中、鶴鳴学園の生徒で賑わった場所でしたが、
ここも、私が就職した頃に店を閉められました。
ここも、私が就職した頃に店を閉められました。
その一軒先にあったのが、「萩 はり・灸医院」。
大きな看板が、家の軒先に設置してありました。
私が小学生のころ、同じ珠算塾に、ここの娘さんも来ていて、
先生が、よく指圧してもらってたのを覚えてます^^
私が小学生のころ、同じ珠算塾に、ここの娘さんも来ていて、
先生が、よく指圧してもらってたのを覚えてます^^
かわいい、顔だちのよく整った御嬢さんでしたので、きっと今頃は
大学生ぐらいのお子さんのいる、いいお母さんになっていることでしょう^^
大学生ぐらいのお子さんのいる、いいお母さんになっていることでしょう^^
「萩 はり・灸医院」のさらに一軒先が、私の小学校の同級生のお宅。
その角が「ピントコ坂」の入り口になります。
その角が「ピントコ坂」の入り口になります。
本来の茂木街道はここから右に登って行くのですが、今回は私takeppeの思い出散歩。
まっすぐ、いわゆる「小島の旧道」を登って行くことにします。
さあ、
やっと3分の一ほどを過ぎたばかり。
やっと3分の一ほどを過ぎたばかり。
がんばって登って行くことにしましょう。
つづく。
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