#長崎県

旧街道思い出散歩④ 上小島2丁目

生活道路としての旧街道 通称「小島の旧道」もほぼ中間あたり。
ちょうど、鶴鳴学園への抜け道との合流点に来ました。

 

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そこにちょうどある、この白い小屋のようなもの。
これは、湧水の溜め池みたいなもの。

 

この旧道沿いはとにかく地下水の宝庫。
ここに登ってくるまでに、私の知ってる限りでは少なくとも、9か所はあったと思います。
その中でも、ここは昔から最も水量が多く、かつきれいな水でした。

 

私の子供の頃は、まだ上から溢れるほどの水量を誇っていました。

 

あの昭和57年の長崎大水害の際には、電気・水道・ガスすべてが停まってしまいましたが、
takeppe家を含む、この近辺の方々は、この湧水のおかげで
水だけは不自由なく過ごせたのです。

 

当時は、まだ粗末な囲いで、誰でも立ち寄って飲んでいました。
もちろん、
我々が子供の頃は、遊んでる途中にジュースなんか買う必要はありませんでした(^_-)-☆

 

でも、

 

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今では、飲めるかどうかもわからないうえに、この水量。

 

もう、かつての面影はありません。

 

ついでにいうと、
このもう少し上に行ったところにある白糸近辺は、
江戸時代、霊場であり、かつ避暑地でもあったところ。
元々、自然の豊かな土地だったのです。
詳しくは、「ココで!」

 

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さあ、気をとり直して更に前に目を向けると、
またまた、懐かしい建物が・・・

 

うっすらと「ヘアーサロン タケガミ」の文字が。

 

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ここは、私が物心ついたときから、高校卒業の18歳までお世話になった理髪店。
当時は、グッピー好きのご主人が、ヒマをみつけては水槽の手入れをしていたのを
懐かしく思い出します。

 

覗いてみると、まだまだ営業中。

 

ご子息二人とも跡をついだと風のうわさに聞きました。
確か、同級生が嫁いだんじゃなかったかな?

 

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そして、その真向い。
ここも懐かしい、そろばん塾のあった場所です。

 

takeppeは、ここに小学3年生から中学1年まで通ったんですよ。
当時は、男子の有段者はまだ珍しく、
近所の人たちから、「takeppe先生」と呼ばれてました(*^。^*)

 

この階段を上がって、更に上に登って行くと、本当の「茂木街道」とぶつかるのですが、
その途中の道は、当時、スゴク緑深いところ。

 

ほとんどの虫たちがそろう、takeppeにとって文字通り、「宝の山」だったところです。
なんせ、
ほとんどが農家の方の畑や田んぼで、小学3年生当時は、まだ牛が飼われていましたからね(^^)v

 

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建物の隙間から見えてるのは「愛宕山」。

 

ここは、当時悲しい出来事のあった場所ですが、ここでは触れないでいきましょう。
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この右側の建物が「しかや米穀燃料店」の跡。
昔、大八車(知ってるかなあw)に米や薪などをのせて配達していた、真っ黒に日焼けした
笑顔の素敵なお兄さんは、今でも元気でしょうか?

 

現在は、東小島に場所を移して営業中です。

 

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「やよい美容室」ももう営業していません。

 

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そして、前方に、今回takeppeがどうしてもこの目で確認しておきたかった場所が見えてきました。

 

ただ、
この時点で、淡い期待は吹き飛んでしまいましたが・・・(T_T)
次回は、この街道がどういう役割を果たしていたのかを思い出しながら綴っていきます。

 

つづく。
.

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