タイトルのお盆は、もう遥か彼方に過ぎ去ってしまった10月。
ちょっと、季節外れではあるものの、お付き合いください。
ちょっと、季節外れではあるものの、お付き合いください。
皆さんは、お盆に、
お坊さんにお経をあげにきてもらう(「回向」という)時、
その到着が、必ずしも約束の時間ぴったりじゃないことに腹をたてたり、
愚痴を言ったりしたことはありませんか?
お坊さんにお経をあげにきてもらう(「回向」という)時、
その到着が、必ずしも約束の時間ぴったりじゃないことに腹をたてたり、
愚痴を言ったりしたことはありませんか?
かく言う私は、
15日の○○時頃、来ていただく予定が一時間も延びたりした場合、
必ず口にするのが、
「これじゃあ、どこにも行けやしない」
とか
「後の予定が狂ってしまう」
とボヤいたりします。
15日の○○時頃、来ていただく予定が一時間も延びたりした場合、
必ず口にするのが、
「これじゃあ、どこにも行けやしない」
とか
「後の予定が狂ってしまう」
とボヤいたりします。
ここに、我が家が檀家となっている長崎のお寺のご住職が、寺の機関紙に書かれた、
この夏のエピソードをご紹介します。
この夏のエピソードをご紹介します。
「お盆の期間中には、毎年必ず「時間通りに回向に来ない」という問い合わせがある。
(略)今年のお盆も葬式がありました。14日の夕方にはお坊さんが熱中症で入院
しました。予測不可能な事態が発生し、日程が多少変わります。
ほとんどの方は、事情を説明する事によって理解してもらいましたが、中には
「自分達の都合もあるのだ」と言い張り、何度も電話がかかってきます。(略)
昔から、お坊さんが家にやってくるのを、一日ゆっくり待つのがお盆の過ごし方でした。
(略)今年のお盆も葬式がありました。14日の夕方にはお坊さんが熱中症で入院
しました。予測不可能な事態が発生し、日程が多少変わります。
ほとんどの方は、事情を説明する事によって理解してもらいましたが、中には
「自分達の都合もあるのだ」と言い張り、何度も電話がかかってきます。(略)
昔から、お坊さんが家にやってくるのを、一日ゆっくり待つのがお盆の過ごし方でした。
それにしても信仰を同じくする家にお葬式が出来たり、菩提寺の僧侶が病気で倒
ても、そんな事情はそっちの都合と言われると、
寺檀の関係とは何なのか。お釈迦様の教えはどこにいったのか。
それよりも困ったときには、お互い助け合う、人としての道はどこへいったのか。
と、思わず電話の声が荒くなってしまいました。」
私自身、このエピソードを読んだ瞬間、ガーンと一発殴られたような気がしました。
特に、「信仰を同じくする家にお葬式が出来たり」のくだり・・・
たぶん、我々の祖父・祖母の時代は別として、
現代のほとんどの方が、同じ信仰者としての横のつながりは全くないといっていいのでは?
特に、「信仰を同じくする家にお葬式が出来たり」のくだり・・・
たぶん、我々の祖父・祖母の時代は別として、
現代のほとんどの方が、同じ信仰者としての横のつながりは全くないといっていいのでは?
戒めなければ・・・
そして、来夏のお盆は午後に予定を入れることなく、豊かな気持ちで待つこととしよう。
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