#長崎県

祖父の足跡を訪ねて—「端島へ」その2

さあ、いよいよ端島へ上陸です。

前回お伝えした、祖父が19歳で携わった30号棟を紹介する前に
それ以外の建物と施設を紹介したいと思います。

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この日、船はほぼ満員。人気の高さが窺えます。

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島内の配置は上図の通りです。
ツアーで歩く見学通路は左端の赤いところですので、島内の施設を撮影するにはかなりの制約があります。

今回は、かつて知人が建物劣化の調査に行ったときにお願いして写してもらった写真も
併せて紹介します。(現在は見学通路以外への侵入は禁止されています)

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前回の最後にご紹介した、擁壁を内側から見たものです。
「天川」といって、赤土と石灰を混ぜた、速乾性に優れた材料をつかって自然石を固めて作ってあります。
コンクリートの護岸が出来る前は、すべてこれだったそうですが、これだけ波の荒いところにあって、100年近くたっても現存していることに驚きます。
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上陸してすぐに、炭鉱の採掘工場や事務所があったエリアが見えてきます。

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閉山時に、真っ先に機械関係が解体・撤去され、今は施設の一部しか残っていません。

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これは竪坑の跡。

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島が機能していた時には、採掘場や住宅の明かりで必要なかった灯台が、場違いのように立っています。

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橋脚のように見えるベルトコンベアーを支える門型の足。

奥に見えるのは、小中学校の建物。

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じっと見てると、子供達の遊ぶ声が聞こえてきそうな気がしました。
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建物同士が、まさに「林立」。
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左が「17号棟」、右が「16号棟」。
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ベランダの手摺は今のように金属やRC(鉄筋コンクリート)ではなく木製。
私の祖父が手がけた建具が、この中にあるかも知れません。

意外と木製のものが残っているように感じますが、
調査に行った知人の話によると、閉山後は木よりも鉄骨から朽ち始めたそうです。
塩(海水)は、RCや鉄の大敵なんです。
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また、ここはいろんな先進的な試みもなされています。

単にRC住宅が先取りされていただけでなく、屋上緑化も行なわれていました。
結果的に、減熱効果が得られていたということですが、
本来は、子供たちが遊ぶ場所を確保するには、屋上の有効利用が欠かせない狭い島であり、
この緑化も情操教育の一環だったということです。
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鉱山幹部の住宅。
島民の方々は基本的に共同浴場だったそうですが、ここだけは一戸にひとつ風呂がついていたとのこと。

昔からエライ人は高い所が好きなんですねw

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高層住宅の窓からは、こんな景色が見えていたんですね。

ここは、廃墟マニアにとっても垂涎の場所らしいですが、
単に廃墟という言葉で片付けるのではなく、ここに人々が暮らし、日常が息づいていたこと。
そして、狭いなら狭いなりに、いろんな工夫をして生活した島民の方々の逞しさを思わずいられません。

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この日、瓦礫の中に懸命に咲いている花が、とても美しく感じられました。
いよいよ次回は、30号棟の紹介です。

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