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茂木街道をゆく—「八剣神社~小島地蔵群」

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高島秋帆別邸跡から、ほんの少し上ったところに「八剣神社」があります。

 

ここは、長崎における最古の神社です。
岩永氏によると、永禄11年(1568年)肥後阿蘇宮の東源左衛門が日本武尊を勧請して
祀ったのが始まりとのこと。
高島秋帆も「高島四郎太夫」の名で奉賛したらしいですよ。

 

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私が子供の頃は、ここに相撲の土俵がありました。
当時、秋の大祭の頃には小島一帯の各自治体から子供が出場して、相撲大会が行われていたんです。

 

実家の井戸のお祓いをお願いした縁で、宮司の森路さんにお話をお聞きすることができました。
当時は宮司のお父様が相撲好きだったこともあって、盛んに行われていましたが、
もうかなり前から出場する子供たちがいなくなって、
自然と廃れたそうです。
宮司も私と同い年ぐらいで、当時を懐かしそうに話してくれました。

 

ここから先に見えてくる墓地は、そのほとんどが八剣神社の所有なんです。
折々に紹介していこうと思います。

 

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八剣神社を辞して、更に上って行きます。

 

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懐かしいお堂と郵便ポストがありました。

 

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この旧街道沿いの「中の切り」「下の切り」一帯には郵便ポストはここにしかなく、対面にある
この写真の家屋が、昔は郵便切手やハガキ、タバコを売っていました。
今はもうそんな面影すらありません。

 

ちなみに今の茂木街道は正覚寺から弥生町のバス通りに出るまでをそれぞれ
「上の切り」「中の切り」「下の切り」と3つに分けて呼んでいました。

 

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お堂の中に、地蔵様が祀られていました。

 

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そのお堂の上手に多くの地蔵や塔があります。
岩永氏によると、年代ははっきりしないものの、永禄3年(1690)から文久3年(1863)頃の
ものだそうです。
昔の街道筋には、旅の安全を祈るため、節目節目に必ず地蔵が祀られていると言いますが
まさに、この先がピントコ坂に通じる茂木街道の角であることから、
納得のいくものです。

 

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右奥の井戸は、油屋町の住人が飲料水として使用していたとのこと。

 

昔は、当然徒歩ではありますが、距離の感覚が現代と全然違いますね。
次回へつづく・・・。
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