#祭りと伝統

これで最後でっせ!

みなさん、
飛梅」をご存知だろうか。

多分、多くの方はご存知だと思うが、私の知り合いに弱冠一名。
何度説明しても、覚えてもらえない方がいるので
この場を借りて、ご説明しよう。
承和12年(845年)に生まれた 菅原道真の頭脳明晰ぶりには目を見張るものがあり、
時の権力者、藤原時平と肩を並べるにいたり、昌泰2年(899年)には時平が左大臣、道真が右大臣に就任した。

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名門とはいえ藤原氏には比ぶべくもない菅原氏出身の道真のこの昇進は、
時平にとって快いことではなかったため、
密かに道真追放の陰謀を画策しはじめ、道真の娘が斉世親王の室になっていることを逆に利用して
斉世親王皇位に就ける陰謀を道真が企んでいると、時の帝醍醐天皇に密告した。

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そのため道真は昌泰4年、突然右大臣近衛大将の地位から、
筑紫の大宰権帥(ごんのそち)に左遷されたのである。
それだけではなく、道真の4人の男の子までも土佐、駿河、飛騨、播磨へそれぞれ配流となった。

さらに、妻室と年長の女子は京に残され、年少の男女のみが道真とともに筑紫に下ることを許された。
完全な一家離散である。

この日、長年住み慣れた都の自邸を去るにあたって、
日ごろ梅を愛する道真は、庭先の梅に向かい、愛憎の歌を残した。

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

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配所における生活は淋しく苦しかった。
太宰府の政庁からほど遠からぬ観世音寺近くに与えられた榎寺の宿舎は荒れ果てていた。
誠実な道真は、無実を心に叫びつつも、
ひたすら謹慎に務め、日に一度は近くの天拝山に登ってはるかに都を排し、国の安泰と天皇の御無事とを祈りつづけた。

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そのうち、延喜2年(902年)の春がめぐって来た。しかし恩赦の沙汰はない。
道真の胸には、まだ春は来なかった。

するとある朝、そんな道真を慰めるかのような不思議な出来事が起こった。

昨夜まで、何の変化もなかった配所の庭先に、一夜にして見事な梅樹が咲き誇り、
ふくいくたる香気をあたり一面に漂わせたのである。

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(ホンモノの飛梅です)

「これは都に残してきた梅の木じゃ。
 去年、都を出るとき、詠んだ歌を忘れず、ここまで飛んできたのであろう」

道真の目は感激にうるんでいた。
これがいまも太宰府天満宮本殿横にある“飛梅”である。

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(これもホンモノ【pentax版】)

わかった?
もう二度と説明しないからね。

ん?
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電話してる場合じゃないよっ!

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