#佐賀県

川南造船所(1)—外観

先日、ずっと前から気になっていた、
伊万里にある「川南造船所」、正確には「川南工業 浦ノ崎造船所」跡地へと行ってきました。

同じ産業遺産でも、takeppeが記事にするからには、やはり長崎と縁のある施設から始めるのが
筋というもの。

川南工業(かわなみこうぎょう)とは、長崎県西彼杵郡香焼村にあった造船会社のこと。
(この会社は、南極観測船 初代「宗谷」建造の造船所でもあります。)

社長の川南豊作氏は、出身こそ長崎ではありませんが、
香焼島造船所(現在の長崎造船所香焼工場)、
深堀造船所(かつての林兼造船長崎造船所、現在の福岡造船長崎造船所)などを所有し、

また、造船技術者の育成を目的に、長崎港外香焼島に「川南高等造船学校」
(後の「長崎造船大学」で、現在の「長崎総合科学大学」)を創設し、
現在の造船長崎の礎の一翼を担った人物なのです。

話しは長くなりましたが、彼が作った造船所のひとつ、浦ノ崎造船所の遺構が、
当時の姿をそのままに、現在も残っているのです。
とはいっても、廃墟マニアにとっては、全国的有名な遺構なんですけどね。

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国道を北上する途中に、この遺構は存在します。

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ツタの絡まる外壁。

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元々は、ガラス工場だったところ。

それがいつしか・・・

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ここで造船を開始して数年後、
軍需工場に指定され海防艦や人間魚雷として知られる「回天」を製造していたらしい。
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「回天」とは、海軍の特攻兵器のこと。

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潜水艦とは名ばかりの、その本体のほとんどが爆薬で構成。

燃料タンクは、片道分の燃料しか詰めない設計だったそうです。
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当時の従業員数は学徒動員なども含め約2、500名に及んだとのこと。
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今は静かで平和な海。
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当時の、最高軍事機密の中での製造は、ここに携わった人たちの口を重くしてしまいました。

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この貴重な遺産も、今年の2月、解体撤去が正式に決まったとか。

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なんとか残せないのか、
保存活動は市民レベル、それも地元ではなく他県の方たちの活動が起こったのみ。

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次回は、その圧倒的な迫力に満ちた、内部大空間を掲載します。
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