#長崎県

川棚魚雷発射試験場跡(2)

収蔵庫から一転、目を海の方に向けると、魚雷発射試験を行なったであろう、
二つの塔ののうち、現存するひとつが嫌でも視界に飛び込んできます。

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今では、釣り人の格好の聖地になっていますが、

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魚雷収蔵庫(調整工場)からまっすぐ伸びた軌道には、魚雷を運搬したトロッコのレール跡がくっきりと残っています。
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塔の内部。
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この塔に開いている丸い窓から、ちょうど魚雷の標的代わりとされた小さな島が見えました。
(手前に薄く写っている小島がそれです)
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この塔から収蔵庫のある島の右側には、魚雷監視所の建物が見えます。

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収蔵庫の隣にある建物。

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今ではツタが絡まる、ただの廃墟。

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沈む夕陽が、ただ哀しく塔を照らしていました。
この後、今回の本当の目的地、「特攻 殉国の碑」へと車を走らせました。

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場所はすぐにわかりました。

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「特攻 殉国の碑」
碑文には「昭和十九年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は臨時魚
     雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県川棚町小串郷に移し魚雷艇隊の訓練を行
     った。

     魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇で、ペリリユー島の攻撃硫黄島最期の撤収
     作戦など太平洋印度洋において活躍した。更にこの訓練所は急迫した戦局に処
     して全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して震洋特別攻撃隊伏竜
     特別攻撃隊を編成し、また回天、蛟竜などの特別攻撃隊の練成を行った。
     震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当たりする木造の小型高速艇で七千
     隻が西太平洋全域に配置され比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃沈した
     ほか沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を突破して特攻攻撃を
     敢行した。

     伏竜特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊でこの地で訓練に励んだ。

     今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、これひとえに卿等殉
     国の英霊の加護によるものと我らは景仰する。

     ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、ゆかりのこの地に特攻殉国の
     碑を建立し遠く南海の果てに若き生命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる
     偉業をとこしえに顕彰する。
     昭和四十三年五月二十七日

     有志一同
     元隊員一同 」

とあります。
ここで出てくる「震洋」とは、
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この、ベニヤでできた木製の粗末な特攻艇のこと。
これに身を託して、国のために若き命を散らせたかと思うと、思わず涙が出そうになりました。

また、先に訪れた「川南造船所」で建造された「回天」の訓練もここで行なっていたと碑文にあります。
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私の伯父も、特攻ではなかったものの、同じ海軍に属し、マレー沖で戦死しています。
この碑の側で記帳を済ませ、しばらく海を眺めることにしました。
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この綺麗な夕陽が、いつまでも穏やかな海に沈むことを願って・・・

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