#長崎県

祖父の足跡を訪ねて—「端島へ」その1

ここに一枚の古びた写真がある。

イメージ 1 

裏には、
「大正五年三月十五日 長崎港外端島コンクリート家屋前にて撮影」と墨書してある。
そう、
これは、私の祖父(右から二人目)とその友人たちの写真なのです。
端島」とは、あの軍艦島のこと。
そして、「大正五年」に存在していた、この「コンクリート家屋」こそ、
日本最古の鉄筋コンクリート造集合住宅 通称「30号棟」なのです。

着工当時、祖父は19歳。
まだ、大工としては一人前ではなかった祖父が、なぜ、当時のビッグプロジェクトに参加できたのか
について語っていたのを、今でもはっきり覚えています。

当時、材料は、そのほとんどが輸入物。当然、文字はすべて英語表記。
夜学で苦学し、ある程度英語の読みができた祖父は、英語が読める唯一の存在という理由で
このプロジェクトに参加できたのだと。

私が幼い頃、この建設に携わった人たちの集合写真を見せてもらったことがありますが
確かに、普通ならあり得ない、棟梁の左脇に座る祖父の姿を覚えています。
(残念ながら、この写真は紛失してしまいました)

余談ですが、
当時、炭鉱の島として名高い、「端島」、「高島」、「伊王島」の三島連合運動会で、
祖父は、徒競走ではいつも一番だったことを自慢にしてました。

また、晩年は大工としても、長崎では結構有名な人物だったようで、
龍馬の刀傷で有名な「花月」の客間の細工や、
今ではもう無くなってしまった、長崎知事公舎の天井の細工(普通は格子状に算木を配置するところを
日章旗のように放射状に施工した)の設計と施工。
それから、最も得意気に話していたのが、長崎の三菱ドッグで建造された、
戦艦「武蔵」の艦長室をすべて一人で仕上げたことなど、枚挙にいとまがありません。

博識でもあった、そんな祖父が大好きだった私は、
いつの日か、「端島」に行ってみたい。そして、祖父が手がけた「30号棟」を見てみたい。
そう思いながら、40年ほどたった今、やっとその夢が叶ったのです。
この日は、天気晴朗。

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すっかりモダンになった大波止
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往時の面影は全く無くなってしまった近代的な港も、この日ばかりは心地よし。
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胸を躍らせて、出航です。

右手に、あの「武蔵」を建造したドッグを見つつ、
女神大橋をくぐり、三菱の百万トンドッグ(これは社会科見学でいったなあ)を過ぎると、
建設中の伊王島大橋が見えてきます。

長崎港をこうやって海から眺めるのは、何年ぶりだろう、と思うだけで涙が出そうになります。

そして、高島を過ぎると、目の前に「端島」が見えてきました。

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いつ見ても軍艦に見えますね(当たり前だけどw)
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いよいよ間近に迫る端島
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あの「ドルフィン桟橋」から上陸です。
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「天川」と自然石でできた擁壁が、あたたかく迎えてくれました。

次回へつづく。
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