先日のくじゅう。
朝焼けは見れなかったが、その後の青空と残雪が楽しい山行を演出してくれた。
あっという間だったけど、都合8時間弱の山歩き。
そりゃあ、もう楽しかった。
ここまでは、いつも通り。
でも、下山して身支度を整え、
いつものように温泉に入って帰ろう、と思ったとき、いつもと違うことに気がついた。
そう、
「きづな」がないのである。
わかってはいた。
だから、「牧ノ戸」を後にし、
どこか立ち寄り湯がないか探しながら車を運転し、
とりあえず、暖かいお湯に浸かれば疲れもとれるだろうと、
一番最初にその看板を見つけた、
西鉄の「花山酔」で汗を流した。
清潔感溢れるホテルマンの、
型通りの挨拶と隙のない案内。
見た目は申し分のない、奇麗なお風呂。
広さも、景色も十分。
でも、なにか満たされない。
私の「くじゅう山行」。
それは、広大な九重連山を堪能し、下山後、元「きづな」のご主人に山での土産話をすること。
そしてご主人は、いつもにこやかな笑顔で、それを聞いてくださる。
それが、ひとつのセットになっていて、
それだけで、
私の「ココロ」は満たされたのだ。
結局、「人」なんだ。
泉質や設備じゃなく、
その名の通り、
「きづな」が、
日ごろの胡散臭い、無味乾燥な毎日を忘れさせ、洗い流してくれたのだ。
あゝ、
新しい「きづな」を見つけなきゃ、
くじゅうの山々からさえ、足が遠くなりそうだ。
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