母校 小島小学校から愛宕山方面に上ってみます。

小学校体育館から真上の階段を65段、
更に車道を横切り172段のぼります。(膝が笑ってますw)

目指すは、長崎名勝図絵にある「水紋石」です。
下方に書いてある、お稲荷さんはもうありません。


ありました、ありました。
岩永氏によると、当時子供達はカンボコ石と呼んで遊んでいたそうです。
もっと隆起がはっきりしていたそうですが、今では、民家の裏庭みたいになっていました。

やっとのことで小学校まで戻り、校門前の道を高平町方面に下りて行くと、
あれ? ここは昔「三八ラーメン店」じゃなかったかな?
よく、チャンポンの出前をとったのになあ・・・。
屋号を書いたヒサシの骨だけ残っていました。
奥に見えている橋は「ひさぎ橋」といい、その右手に


「オランダ井戸」があります。
昔は常用されていたそうで、特に「オランダ人(外国人)」がよく来ていたことから
この名がついたそうです。


またまた、ニャンコがいました。ん?木登り中? 「ひさぎ橋」から小学校を望みます。
ここから、国道に出ると、崖沿いに
小林竹仙が詠んだ句碑があります。(さるくの旗が立ってましたよ~)

小林竹仙が詠んだ句碑があります。(さるくの旗が立ってましたよ~)



「竹仙」とは俳号で、この方は、この「千畳橋」を渡ったところにあった銭湯のご主人で
屋号を「小島温泉」と名づけていました。


この「千畳橋」を渡った細い通りは、「野菜果物店」「魚屋」「饅頭屋」「床屋」「生菓子屋」さんなどで賑わって
ました。小さな商店街みたいでしたよ。
ここは、私の過去ログにも書きましたが、小さい頃よく通ってた銭湯です。
銭湯の帰りに、お菓子を買ってもらってた記憶があります。


今も当時、銭湯に行くために使った鉄橋(私橋)が残っています。
1985年ぐらいまでは現役だったそうです。
岩永氏によると、このあたりから正覚寺下電停までを「八丁車」と呼んだそうです。
由来はこの一帯に八つの「水車」があったことからきてるそうですが、定かではありません。
先ほどの句碑は、その水車を題材にしたのでしょう。
由来はこの一帯に八つの「水車」があったことからきてるそうですが、定かではありません。
先ほどの句碑は、その水車を題材にしたのでしょう。

ここは、小島川の中でも、私の大好きな所ですが(右手の家は幼馴染の実家ですw)、
このあたりに水車があったなんて、もうメルヘンですね。
次回へつづく・・・。
いよいよ次回は終点、正覚寺下電停付近です。
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