#長崎県

茂木街道をゆく—「徳三寺と田上寺」

前回の「合戦場」で峠を越えましたので後は下るだけです。

 

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合戦場奥の細い坂道(これが約100段あります)を下ると、つい最近設置された標石がありました。
このすぐ横が「徳三寺」です。

 

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本堂がきれいに建て替えられ、威厳のあった参道もなくなっていましたが・・・

 

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境内には俳人 向井去来の千歳亭跡碑や句碑はちゃんと残されていました。

 

千歳亭は去来の叔母が草庵を結んでいたところです。
長崎生まれの向井去来は、元禄11年(1698)長崎に帰った折、ここで千歳亭(せんざいてい)日記を書き、
花見会や観月会を催していたとのことです。

 

「名月や たかみにせまる旅こころ」

 

と詠んでいます。「田上」と「たかみ」をかけているんですね。

 

更に、本堂横の階段を上がって行くと、大きな墓地に出ました。
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これは「杉山家」の墓地です。

 

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徳三寺はもとは、伊良林の杉山徳三郎により、杉山家の私寺として明治33年(1900)に再建されたものです。
徳三郎の「徳三」だったのですね。

 

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しかし個人としては、立派なお墓です。

 

この後、徳三寺を辞して、すぐ隣の「田上寺」(でんじょうじ)に行きました。

 

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なぜ、ここに寄ったかと言うと、ここには「松平長七郎」の位牌墓があるというのです。

 

松平長七郎といえば、里見浩太郎が熱演したTV時代劇「松平長七郎江戸日記」が有名ですよねw

 

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それが、これです。

 

長七郎はここを寄宿としていたことから、
別名、天下様の墓と呼ばれ、昔は長崎代官が参詣し、田上を通過する諸侯や役人は
必ず香華を捧げ、長崎で最も格式高い墓ということです。

 

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なるほど、葵のご紋が。

 

松平長七郎は和歌山で没していますが、
三代将軍家光の弟、駿河大納言 忠長の長子であり、実際に西国を放浪していたとのことです。

 

この長崎に徳川家にゆかりの人物が、その足跡を残していたとはちょっと意外でした。

 

でも、本当かなあw

 

次回へつづく・・・。

 

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