前回の「合戦場」で峠を越えましたので後は下るだけです。
![イメージ 1](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001545.jpg)
![イメージ 2](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001600.jpg)
合戦場奥の細い坂道(これが約100段あります)を下ると、つい最近設置された標石がありました。
このすぐ横が「徳三寺」です。
![イメージ 3](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001605.jpg)
![イメージ 4](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001608.jpg)
本堂がきれいに建て替えられ、威厳のあった参道もなくなっていましたが・・・
「名月や たかみにせまる旅こころ」
と詠んでいます。「田上」と「たかみ」をかけているんですね。
更に、本堂横の階段を上がって行くと、大きな墓地に出ました。
![イメージ 6](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001617.jpg)
これは「杉山家」の墓地です。
![イメージ 6](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001617.jpg)
これは「杉山家」の墓地です。
![イメージ 7](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001622.jpg)
![イメージ 8](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001626.jpg)
徳三寺はもとは、伊良林の杉山徳三郎により、杉山家の私寺として明治33年(1900)に再建されたものです。
徳三郎の「徳三」だったのですね。
![イメージ 9](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001634.jpg)
しかし個人としては、立派なお墓です。
この後、徳三寺を辞して、すぐ隣の「田上寺」(でんじょうじ)に行きました。
![イメージ 12](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001552.jpg)
それが、これです。
![イメージ 13](https://takeppe-blog.com/wp-content/uploads/2019/import_photos/20190804/20190804001557.jpg)
なるほど、葵のご紋が。
この長崎に徳川家にゆかりの人物が、その足跡を残していたとはちょっと意外でした。
でも、本当かなあw
次回へつづく・・・。
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